SSブログ

『つれがうつになりまして』最終回を見ました。 [日記・雑感]

最終回を見ました。

・・・どうなんでしょうか・・・

(原作は読んでいないので、脚色されているのかどうかはわかりませんが)、今回は、なんというか、「・・・ああ、そういう展開になるんだ・・・ こういうのもありなんだね・・・」と、ちょっと客観的 というか、現実離れしちゃった・・・というか・・・

私も実は、日記を毎日つけていた頃もあり、それが、ブログに移行してきたわけです。

話しの中で、「つれ」の日記を読んで、初めでダンナの苦しみの毎日を知るところがありました。

私は、一番しんどい頃の日記は、今は見たくない。 かみさんであっても、見られたくない。

ブログも、いつもかなり本心をぶつけているのですが、これは、かみさんが見たらどうなのかな・・・ すでに公開しているので、見つけたらそれでいい・・・ これを読んだら、かみさん どう思うのかな・・・ 大阪の親父さんのことも結構書いてあるし。 

まだ完治していない状態なのに、大勢の人を前にして、講演会をしちゃうんですね・・・ こんなこと、本当にできるのかな・・・

結論は・・・ ドラマ3回で完結 という制約があったとはいえ、ちょっときれいに終わりすぎの感有り。


nice!(8)  コメント(14)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 8

コメント 14

ソニックマイヅル

見つけたらそれでいい・・・。

私もそう思います。^^;
by ソニックマイヅル (2009-06-14 08:54) 

のろ

私も最終回を見ましたが、やっぱり原作とは別物なんだなぁと思いました。マンガを核にいたっての、作者側をドラマ化してますもんね。それも回数の制限があって、うつの苦しさとかは、あまり伝わってこなかった気がしました。
原作も、一回読んだだけでしたが、もう一回読んでみようかな~・・・。確か、講演会に出る時も、だいぶ回復してからの話だったと思いました。
by のろ (2009-06-14 10:31) 

hidechan

ソニックマイヅルさん、ありがとうございます。
そうですね・・・ 書いてきたことはすべてその時に感じた正直な思いで、時間が経てば変わってくる部分もあるし、それにとらわれることはありません。
by hidechan (2009-06-14 16:51) 

hidechan

のろさん、ありがとうございます。
そうでしたか・・・
私も、1回目の「つかみ」には見事に捕らわれてしまいましたが、2回目、最終回 と進むにつれ、だんだん、気持ちのずれを感じました。

現実には、一日の中にも、大きな気持ちの起伏が襲ってくるし、それを来る日も来る日も毎日重ねていかなければならない・・・
ご近所の「目」も気になるし(私は、休職中、職安に行く以外、明るいうちに外出することはできませんでした)、投薬内容が安定するまでがまた辛いし・・・ 
(原作は読んでいませんが、)やっぱり、「ドラマ」なんだな・・・ と思ってしまいました。
by hidechan (2009-06-14 17:08) 

mistta

ドラマ化は原作に無い良さが有ったり、逆に原作の良さを損ねたり・・・。
どうも後者だったようですね。
by mistta (2009-06-14 18:27) 

大将

ドラマはもちろん原作も見てはいませんが
身近な人だからこそ、大事な特別の人だからこそ
知られたくないなぁ、見られたくないなぁ
そんな気持ちってわかる気がしますね
もちろん後ろめたい事ではなくてもね
by 大将 (2009-06-14 21:57) 

きゅんぱち

やはりそうですよねぇ〜、現実とドラマとでは hidechan さんの指摘されている視点で言えば、どうしてもそういうギャップが出てきますよね。
ちょいと希望的観測が入り過ぎてるともとれますもんね。
ま、病気モノのドラマについては、においや痛みのレベルや症状というのは絶対にリアルに伝わらないもんですからね、これはしかたないし、作り手もそこら辺のことは十分承知しているので、敢えて希望的観測を前面に押し出すカタチで結論づけたかったんでしょうなぁ。
遠い将来、スピーカとともに視聴者の身体各部位にセンサーユニットをつけることにより、痛みやにおいのデータをもリアルにメディアとして送受できるようなデータ伝送技術が提供できるようになれば、さらに深みが持てる内容となるはず…、何年先かは分かりませんけどね(笑)。

ま、ドラマっていうのはいわゆるひとつの「概論」ですわなぁ(苦笑)。

ただね、ひとつなるほどと思ったのは、うつの闘病記そのものが実は「後輩患者」には気持ちの持ちようの手がかりになることをはじめとして、多かれ少なかれ希望を持たせることができる重要参考資料となりうるということです。
それが、今回の最終回では「講演会」という手段を使ってみたに過ぎないという読みもできるわけですな。
ただ、「講演会」となりますと、どの視聴者から見ても実際にそういうことがホントにできるのかと言う汎用的な実現性には大変乏しいという弱点があると考えられます。
だから、ギャップ感が生まれてくるんじゃないか、と。
「講演会」なんて仰々しい手段じゃなくても(苦笑)、SNSや会員制ブログのような手段により手軽に

                 「集積知」

が高まってくる方が情報提供側にも閲覧側にも高度に有機的なコミュニケーションが実現できる時代になってますから、こういう手段の方が「手軽に本質を探る」ことができるはずであります。

ワタクシ個人的な、あくまでも個人的な感想となりますけど、制作が「ィエヌ・ィエッチ・ケェィ」ですから絶対実現しないでしょうが、せっかくのキャスティングなんですから、敢えてこの夫婦のセックスシーンを取り上げてほしかったと思います。
いや、エロいシーンが欲しいというんではないんです。
第一話からずっと「言葉」のコミュニケーションのみでの展開だったからこそ、夫婦間での「身体的接触」の重要性を丹念に追ってほしかったと思うんです。
言うのも恥ずかしいかと思いますが、やはり「愛し愛されている」という実感をしっかり持つことって大いなる意味があると思います。
こう、なんていいますかねぇ、お腹の底からジワ〜っと温かくなる感覚っていいますかね、そういう充実感の積み重ねって結構、大きいものがあると思うんですわぁ。
そしてそこから、次への新たなる希望を見いだすことだってあるはずだ、と。
破局直後の藤原紀香さんをキャスティングしたのなら、陣内智則クンへの絶好の当てつけにもできたでしょうし(爆)。
ま、これはウソのつもりが本音でそう思った次第ですがね(大苦笑)。

hidechan さんにおかれましては、焦ることはないですし失敗してもまたやり直せばいいと考えられるような気楽さを取り戻されることを切に御祈り申し上げております。
by きゅんぱち (2009-06-15 18:49) 

hidechan

きゅんぱちさん、ありがとうございます。
・・・
>病気モノのドラマについては、においや痛みのレベルや症状というのは絶対にリアルに伝わらないもんですからね、

これはおっしゃるとおりで、最近特に、「病院もの」のドラマがやたら流行っているようですが、元医療従事者からすれば、もうどれもこれも、「くさくて」見る気がしません。 笑っちゃいます。

>ひとつなるほどと思ったのは、うつの闘病記そのものが実は「後輩患者」には気持ちの持ちようの手がかりになることをはじめとして、多かれ少なかれ希望を持たせることができる重要参考資料となりうるということです。

これも、「ドラマ」ですね。 
特に、うつを発症してすぐの頃は、他人の症状がどうか なんて、目に入りません。 
自分のことだけで精一杯で、だから自虐的になって、自殺願望が襲ってくるのです。
「なんで俺は・・・」「なんで俺だけが・・・」来る日も来る日も、これだけです。 この気持ちに押しつぶされそうになるのです。 だから、その環境から逃げ出したくなるのです。

>第一話からずっと「言葉」のコミュニケーションのみでの展開だったからこそ、夫婦間での「身体的接触」の重要性を丹念に追ってほしかったと思うんです。
言うのも恥ずかしいかと思いますが、やはり「愛し愛されている」という実感をしっかり持つことって大いなる意味があると思います。

これも、残念ながら、この病気の当事者は こんな気持ちの余裕はありません。
特に発症当初は、夫婦であろうが会社の同僚であろうが、皆一緒です。 「自分以外の他人」でしかありません。
「身体的接触」を考えられるようになれば、症状はだいぶ良くなってきている と言えます。
「自分以外の他人」との接触をできるだけ避けたい というのが、一番辛い気持ちなのです。
だから、人目を避ける 昼間は外出できない 
私をはじめ、この病気の当事者が、「こんなはずじゃなかった・・・」と、痛いほどわかっているのです。 でも、それができないことが、更なる自虐的な気持ちにさせてしまうのです。

私も、この病気になってから、色々と「うつ」に関する本を読みあさりました。
でも、この病気の詳細を知ろう と思ったのは、発症してからずいぶん後です。
私は、医療の下地があったから余計に、「今、自分の頭の中はどうなっちゃってるのよ・・・」と、非常に興味がありました。
特に、私の主治医が精神科のドクターである 私が現役の時に、ドクターと一緒に、アルツハイマーや痴呆のデータ取りをし、「脳」の事をとても詳しく勉強させてもらいました。
だから、自分の今の状況を詳しく知りたかった という欲望があったから、割と早い時期に客観的に見ることができたと思うのです。
もし、私がこのような医療的な下地がない状況だったら、きっと、知りたくない・・・ と思っていたと思います。

第一線の企業戦士にとって、自分がこれまで会社の看板を背負って、プロの相手(私の場合は、各科ドクター)と対等に渡り合ってきたにもかかわらず、ある日突然、それができなくなること これは、屈辱的です。
そんな自分にも、嫌気が差します。

今回のこのドラマで、初回 私が止めどなく涙が流れたのは、多分、主人公のこの気持ちが痛いほどわかったからだと思うのです。

発症後の回復過程は、人それぞれです。
だから、ドラマ2回目、最終回は、「ああ、そうなんだ・・・」と、冷静に見ることができたと思います。(・・・というか、「こんなにきれいな毎日じゃねーよ」という、覚めた気持ちの方が大きかったかもしれません)

私は今でも、眠剤がないと寝ることができません。
抗うつ剤、安定剤はなんとか離脱しました。 
ここまでくるのに、2年かかりました。

これから後どれくらいかかるのかは、わかりません。
また発症してしまうかもしれない。

ただ、今の自分は、考え方がだいぶ柔軟になってきた。 これは自覚しています。
これも、ドクターのお陰です。
だから、自分では、「後は時間を掛けて焦らなければ、大丈夫だろうな・・・」と考えられるようになりました。

この病気は、このように考えられるまでが辛いのです・・・
by hidechan (2009-06-15 22:00) 

hidechan

misttaさん、ありがとうございます。
そうですね・・・
3回見終わって・・・ やっぱり、ドラマかな・・・ という感想でした。
by hidechan (2009-06-15 22:08) 

hidechan

大将さん、ありがとうございます。
・・・そうですね・・・ 最近、やっぱり、夫婦って他人なんだな・・・って、考えることが多いです。 ちょっと残念ですが・・・
でも、初めからそう思っていれば、日常の色々なちょっと気にかかってしまうような出来事も、気にならなくなるのかな・・・ と考えるようにしています。

こんな考え方、本当は嫌いなんですけどね・・・ 
by hidechan (2009-06-15 22:15) 

hidechan

tubomiさん、ご訪問&nice ありがとうございます。
by hidechan (2009-06-15 22:17) 

hidechan

たかれろさん、ご訪問&nice ありがとうございます。
祭り お疲れ様でした!!
by hidechan (2009-06-15 22:19) 

きゅんぱち

きゅんぱちのコメントへのレス、興味深く読ませていただきました。
非常に理路整然とされていて、読みやすかったですよ。
非常に読ませる文章だな、と。
事実と結果を正確に認識され、プロの主治医との連携があざやかに目に浮かびます。
向学心旺盛でいらっしゃるようにお見受けでき、大人としての好感が持てると言えましょう。
ワタクシの「うつ」に係る不勉強な点を丁寧にフォローしていただいているあたり、気持ちのゆとりを多分にお持ちでありになるように思います。
どん底まで落ちたと御自身でカミングアウトされながら、よくぞここまで回復基調を保てて来られたのだなぁと、まるで自分のことのように感慨深く思うところでございます。

では。
by きゅんぱち (2009-06-16 16:11) 

hidechan

きゅんぱちさん、・・・ お恥ずかしい限りです。
特に きゅんぱちさんからいただくコメントは、こう、背筋をピンとして、ディスプレイに正対して120%集中して読ませていただかないと・・・と、緊張してしまいます・・・

私自身がこの病気の経験者であるので、患者側の気持ちをできるだけ正確にわかっていただきたい・・・という思いでコメントさせていただきました。
でも、改めて考えれば、症状もその深さも人それぞれで、その人の元々の性格、歩んできた人生、家庭環境、発症したときの職場環境等々 二つとして同じ状況はあり得ないわけで、それがこの病気の治療の難しさ につながるのだと思います。 
しかし、おおざっぱに言うと、セロトニンのやりとりがうまくいかなくなるために、うつ状態が起きる という脳内メカニズムと部位は解明されてきているので、良いドクターに巡り会え、状態にあった投薬が受けられれば、完治する病気 だと私は思っています。
by hidechan (2009-06-16 18:49) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。